ルッキズムー外見至上主義
ルッキズムという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
最近、この言葉をよく聞くようになりました。外見至上主義という意味です。
外見上の美しさが何よりも大切だという考え方ですね。
あなたは美しい方ですか?
私はというと。。。残念ながら、絶世の美人というわけにはいきません。
顔も平均並みですし、年齢柄、シミもしわもあります。
体系も、最近、太り気味ですしね。
ルッキズムからいえば、価値のないおばさんになります。
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たしかに美しいことはいいことです。魅力的ですものね。
あなたが美しい方であれば、十分にそれを堪能するといいですよ。
周りの女性はやっかんで嫌味を言ったり、好みでもない男性が寄ってきたり、美人は美人で大変なようですが。
持って生まれた美人という魅力は、存分に楽しんで。
ルッキズムの弊害
ただ、外見至上主義とまでいくと弊害があります。
美しくない人はどうすればいいのでしょう?価値はないのでしょうか?
ルッキズムにハマる女性は、SNSの影響もあって年々低年齢化しています。
高校生、中学生の女の子にその傾向が強いと言われています。
上記の記事の美容外科医のもとに17歳の女子高生が訪れました。
過剰ともいえる美容整形をオーダーします。
「17歳の子が人中短縮と鼻フルを希望、顔の脂肪吸引もしてバッカルファットも取りたいと。挙げ句ほうれい線も気になるからハイフと糸リフトもしていきたい。横には渋々連れてこられた親。なんでそんなに?と聞くと『インフルエンサーとか綺麗な人はみんなやってるから。』と。これSNSの闇だよ」
人中短縮は鼻と唇の間を短くすること、鼻フルは鼻を鼻筋から鼻先まで全部を高くすること、バッカルファット除去は頬の奥にある脂肪を口の中から除去して痩せて見えるようにすること、ハイフ(HIFU)は超音波などを用いて顔を引き上げること……。17歳の顔にあえて手を加える施術内容とはとても思えない。今月2日の前田医師のツイートは、6800件のリツイート、5.3万件以上のいいねを集め、議論を呼び起こしている。
記事によれば、彼女の同期は「きれいな人はみんなやっているから」でした。
ここまで顔をいじくりまわるのに、とても軽い印象を受けたのは私だけでしょうか。
結局彼女の美容整形は断られます。まだ17歳で顔も体も成長しきっていない時期で、この手術の後、体の成長に従ってどんな影響があるかわからないからというのが、その理由でした。
良識のあるお医者さんでよかったですね。
金儲けに目がくらんでいる美容整形だったら、もっと色んな追加手術を提案されてぼったくられていたかもしれませんよ?
整形手術の失敗で苦しむことになるなんてことになったかもしれません。
今の、素の若さの魅力を大切にしてほしいと思います。
外見にこだわる苦しみ
とはいうものの、美しくなりたいという切実な思いはよくわかるんです。
実は、私は子供のころからぽっちゃりしていました。
いつも父にからかわれていたんです。
お前は女相撲取りにでもなるつもりか。みっともない。
父は軽い気持ちで笑ったのかもしれません。
しかし、この言葉は私の心に深くくさびを打ちました。
ええ、やせなければ生きている価値はないのだと、そう私には聞こえたのです。
この呪縛は今でも私を苦しめます。
だから、ルッキズムにハマる女性の苦しみは何となくわかるのです。
ダイエットとして、食事を抜きました。
心配した母に怒られても、頑として食べませんでした。
そしてほどなく拒食症になり、食べたくても、食事が喉を通らなくなりました。
吐き気がして、飲み込むことができなくなったのです。
心因的なものもありますが、体が食べ物を異物と感じ始めたのでしょう。
やがて、普通に生活するにも息切れがするようになりました。
ここまで自分を追い込んだのに、思ったほど美しくなりませんでした。
段々、このまま食べられなくて死ぬんじゃないかと思い始めました。
当時は、拒食症がそこまでメジャーではなく、医者にかかるという選択肢もありませんでした。
ウチの両親は厳しく、自分の不始末は自分でどうにかしろいう教育方針ですから、救いの手は差し伸べてもらえませんでした。
私は吐き気と闘いながら、やわらかい食事を丸呑みし続け、やがて食事ができるようになりました。
1か月くらいかかったかな。
私はこうして、美しさより命を選びました。負けたのかな(笑)
ルッキズムからの解放
私が「美しさの呪縛」から解放されたのは、視野が広がったからです。
そりゃ、今でも不細工でいるよりは、美しいほうがいいに決まっていますが、自分のレベルというものを呑み込めたというのでしょうかね。
学校しか生きる世界のない中高生の方が、ルッキズムの呪縛はきつい。
「美しさ」の基準も割と均一化していて、彼女たちは同じ「美しさ」を目指しています。
テレビはインスタグラムでバズった美しさなどがお手本になって、そこにどれだけ自分が近いかというのが絶対的な基準になってしまう。
大人になって視野が広がり、生きている世界も様々に広がってくると、美しさも単純なものではないことがわかってきます。
例えば、おなかのポッコリ出た妊婦さんの幸せそうな顔を美しいと思うこともある。
畑でにっこり笑う、シミだらけのおばあさんが美しいなと思うこともある。
決して「美」ではないかもしれないけれど、そこには精神的な充足感が伴う、安心できる「美しさ」があります。
究極の話、自分の美しさなんて、自分だけがわかればいいのよ。
他人に認めてもらうことに軸足があると、苦しい。
もう少し広げて、家族だとか、親友だとか、自分の大切な人たちがわかってくれればそれで充分。
美は賞味期限の短い資産
先ほどの精神的に安心できる美しさとは違い、いわゆる美人というレベルの美は、賞味期限があります。
どんな絶世の美女でも、年齢には勝てません。
世の中には美魔女と言われる年齢不詳の美人もいて、なかなかやるもんだなと感心しますが、年齢をさかのぼるアンチエイジングの努力も厳しいものがあります。
もともと美人ではない向きに至っては、人工的に美しくなる整形も視野に入るでしょう。
ただ、整形をしてもその部分は変わらないのに、他の部分が年齢とともに変わるので、年を取ればバランスが崩れます。
このメンテナンスを一生続けていく覚悟が必要かもしれませんね。
どこかで表面的な美から脱却して、年齢相応の精神的な美へ移行しなければ、失っていくばかりの美に縋りつく厳しい人生を歩むことになります。
もっともアンチエイジングは、美容業界、化粧品業界のドル箱ですから、これからも煽るようなCMバンバン流れるでしょう。
良識あるあなたは、どうか踊らされないでほしい。
美の定義は移ろう
もうひとつお話しすると、美の定義は時代によって変わります。
懐かしいガングロギャルだとか、一世を風靡したファッションも時とともに移ろいますよね。
例えば江戸時代の美人画、見たことありますか?
目が細くて顔が長い女性が、江戸時代の美人でした。
今とは風情が違いますね。
私はよく子供たちにいうのですが、100年もたてば、あなたが超美人になっている時代がくるかもしれないって(笑)
子供たちは「待てない!」って言いますけどね。
写真を見て、「わあ!おばあちゃん、すごい美人だね!」って言われるかもよ?というと、まんざらでもないようです。
そのぐらい美の基準は移ろうものですから、美しくなるために命などかけないでください。
今、命を張って美しくなっても、すぐに見向きもされなくなる可能性もあるのですから。
もっと、安定した価値を見つけましょう。
あなたの価値を探しましょう。
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